なにもかも押し流す津波の恐ろしさ

 平成23年3月11日(金)は忘れられない一日となった。
14:46川崎の高校のパソコンルームで突如揺れを感じた。
と思ったら、どんどん横揺が大きくなってきた。今まで経験したことのない激しさ。
これは危ないと思い机の下に潜った。ひとまずおさまってからすぐネット情報を見たら
三陸マグニチュード7とでた。その後数字がもっと大きく8.8に訂正され、これはすごい地震
起きたのだと緊張が走った。
まもなくJRが止まり、今日は運行しないという。地下鉄で新宿へ出て小田急という手もないことはないが、余震もありうるだろうから途中でストップされたらかなわないので、
そのまま学校に泊まることに。
職員室のテレビで見た津波の巨大な力はすさまじいの一言。車も家もおもちゃの様に
軽々と押し流されていく。泊まった高校も海が近いので背中がぞぞっとした。

●ラジオが聴けるアイフォンアプリRADICOが役に立った。
自宅や親戚の様子が気になり、携帯で電話やメールをするがつながりにくい。緑の公衆電話から
かけたらやっとつながり無事を確認したが、自宅は停電で水道、トイレもだめだという。
川崎は電気も水道も大丈夫で不自由はなかった。
教頭先生が手配してくれたカップめんを食べ、毛布と寝袋をお借りして教室に寝た。
JRのホームページ運行情報は更新が遅くて、リアルタイムの情報収集には役に立たなかった。
Iphoneneでラジオが聴けるRadicoというアプリが役に立った。
私は使いこなせないがツイッターもいいと思う。
 
●いそがば回れ?悩ましい電車経路選択
 翌朝JRが7時ごろから電車が動く予定というので川崎駅に出た。
改札へ行って見るとまだ入れず、8時ごろになるというので近くのマックで待機した。
マックはそんな客で混んでいた。
結局9時ごろになってJRに乗った。南武線登戸経由小田急町田へという
いつもとは違うルートを振り替え乗車で選択。混んでいる急行をさけ、鈍行にのった。
新宿から多摩川を越えたのでホットした。多摩川さえ越せば後は歩いても帰れるからだ。
電車乗客は、みなあきらめたように粛々と並び、静かに乗っていた。
日本人は本当におとなしくなった。ちょっと前までは駅員に食ってかかるオヤジが
いたもんだが。
昼近くにやっと帰宅できた。

●地デジのデータ放送は役に立つ。
 帰宅後はテレビ報道に張り付いた。全局地震報道一色。
もし自分があそこにいて、津波警報が出て、10分後にはすぐ後ろに海水が迫ってくるとしたら、
どう行動しただろうかなどと思いをめぐらす。
こういう非常時は行政が必要なインフラ情報をリアルタイムに
分かりやすく整理して、
「オンデマンド」で取り出せるように文字で常時発信することが必要だ。
携帯でもアクセスできる検索可能な掲示板が望ましい。
NAVITIMEという交通案内サービスサイトがあるが、たとえば発駅と着駅を入れると
今どういう経路でならいくことができるのかリアルタイムに教えてくれるのだろうか。
●携帯はつながりにくいことが分かった。
アクセスが集中するので携帯はつながらないことが多い。メールがいい。
危険分散で外国と提携して、バックアップシステムをもつべきだろう。
携帯のもうひとつの弱点は電池切れだ。こういうときは手回し発電機がほしい。

生活にとって何が基本機能、基本情報なのかをしっかり見直す機会を与えられた。